公立高校入試の歴史並び替え問題

年代の数字を覚えることは重要ではありません。できごとの内容と前後の関係を理解しましょう

歴史並び替え問題第106問(2012年東京都公立高校入試)

問題

次のア~エは、明治時代から昭和時代にかけての、東京の学校に関する主な出来事について述べたものである。時期の古いものから順に記号を並べよ。

バスの車掌やタイピストなど新しい職業に就く女性が増える中で、和装から洋装への転換が進み、洋装や洋裁の技術を教える学校が芝に開かれた。
技術革新が進み高度経済成長を遂げていく中で、自動車の生産に従事しながら企業内で自動車の専門知識を学ぶ訓練施設として国が認定した学校が日野に開かれた。
八幡製鉄所の建設が進められるなどの、産業革命が進展する中で、公衆衛生の向上が課題となり、医学の需要が増え、女性が医学を学ぶことができる学校が飯田橋に開かれた。
富国強兵の方針の下、地租改正を実施したり国立銀行を設立したりして政府が資本主義の基礎を築く中で、経済取引の重要性が一層高まり、商法を学ぶ学校が銀座に開かれた。

正解

エ→ウ→ア→イ

解説

1872年(明治5年)アメリカの銀行制度を模して国立銀行条例が制定されました。国立銀行とはnational bankの日本語訳で国法で立てられた銀行という意味です。この条例の後、民間の銀行が多数つくられました。地租改正は1873年明治6年)に行われ、土地の所有者が現金で地租を納めることにより財政が安定しました。問題文の商法を学ぶ学校は1875年(明治8年)の商法講習所で、現在の一橋大学の源流です。

官営八幡製鉄所日清戦争の賠償金を基に1897年(明治30年)に建設が始められ、1901年(明治34年)に操業を開始しました。問題文の女性が医学を学ぶことができる学校は、1900年(明治33年)の東京女医学校で、現在の東京女子医科大学です。

大正時代、第一次世界大戦が終わり1920年代になると、「職業婦人」とよばれる女性が増加しました。問題文の洋装や洋裁の技術を教える学校は、恐らく1923年(大正12年)の文化裁縫女学校で、現在の文化服装学院です。

現在の日本には日立やトヨタなどに企業内学校があり、問題文の学校は1964年(昭和39年)に技能教育施設に認定された現在の日野工業高等学園です。

 

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