公立高校入試の歴史並び替え問題

年代の数字を覚えることは重要ではありません。できごとの内容と前後の関係を理解しましょう

歴史並び替え問題第74問(2011年度和歌山県公立高校入試)

注意

第52問とほぼ同じ問題です。

問題

次のア~エは、徳川吉宗、田沼意次、松平定信、水野忠邦のそれぞれが行った政治の内容について述べています。これらのできごとを年代の古い順に並べるとどのようになりますか。その記号を順に答えなさい。

公事方御定書という裁判の基準となる法律を整備した。
江戸や大阪周辺の大名などの領地を、幕府の領地にしようとした。
政治を批判する出版物をきびしくとりしまり、朱子学を奨励した。
長崎貿易を盛んにしたり、大商人の力を利用したりして、財政の再建をはかった。

正解

ア→エ→ウ→イ

解説

1716年紀伊藩(現在の和歌山県)出身の徳川吉宗が8代将軍となり、享保の改革を行いました。質素倹約を旨とし、新田開発を奨励するなどの政策を実施し、1742年に公事方御定書を制定しました。

1772年老中となった田沼意次は積極的な経済政策を行いますが、天明のききんの影響もあって、1786年に失脚しました。

1787年吉宗の孫である松平定信が老中となり、享保の改革を理想として寛政の改革を行いました。ぜいたく品や出版や風俗の取りしまりなどの厳しい政策は人々の反発を招き1793年に失脚しました。

老中の水野忠邦は天保のききんで疲弊した財政と農村の立て直しを図るべく、1841年天保の改革を始めました。株仲間の解散や上知令(江戸・大阪周辺の領地を幕府領にする)などの政策は様々な層の反発を招き、1844年に失脚しました。

享保の改革は吉宗が将軍職に就いていた約30年、田沼の政治は約14年、寛政の改革は約6年、天保の改革は約3年と次第に幕府の権力が弱まっていきました。また、一般庶民の世論を政治は無視できなくなりました。

 

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  • 作者:原田 実
  • 発売日: 2016/02/26
  • メディア: 新書