問題(一部改題)
(1)次のア~ウを年代の古い順に並べかえ、記号で答えなさい。
(2)下線部Aと下線部Bに当てはまるできごとを、次の語群からそれぞれ一つずつ選んで答えなさい。
辛亥革命 甲午農民戦争 義和団事件 五・四運動 日中戦争
(3) C半島名を答えなさい
- ア
- 清では、A 「扶清滅洋」(ふしんめつよう)を唱える集団が、北京の外国公使館を包囲すると、日本を主力とする連合軍はこれを鎮圧した。ロシアは、大軍を満州にとどめて事実上占領し、さらに韓国への進出を強めた。日本は日英同盟を結んでロシアに対抗し、その後、戦争が始まった。
- イ
- C半島は、列強の利害と民族・宗教の対立がからまって紛争が絶えず、ヨーロッパの火薬庫と呼ばれていた。このC半島にあるサラエボで、オーストリアの皇太子がセルビア人青年に暗殺されたことをきっかけに戦争が始まった。
- ウ
- 朝鮮では、B 日清両国の対立の中で、政治や経済が混乱したため、民間信仰をもとにした宗教を信仰する団体を中心とした農民が、腐敗した役人の追放や外国人の排斥をめざして蜂起した。これを機に、清と日本は朝鮮に出兵し、戦争が始まった。
正解
(1) ウ→ア→イ (2) A 義和団事件 B 甲午農民戦争 (3) バルカン半島
解説
それぞれの戦争とそののきっかけとなったできごとに関する問題です。また、戦争とその講和条約はセットで覚えなければなりません。
1894年(明治27年)に甲午農民戦争をきっかけに日清戦争が始まり、翌年に下関条約が結ばれました。
1899年(明治32年)に義和団事件が発生し、これをきっかけにロシアが満州を占領しました。扶清滅洋とは清を助け外国勢力を追い出そうという義和団のスローガンです。日本はロシアに対抗するべく1902年(明治35年)に日英同盟を結びました。伊藤博文らは戦争を避けるためにロシアと交渉をしましたが、1904年(明治37年)に戦争が始まり、翌年に小村寿太郎によってポーツマス条約が結ばれました。
1914年(大正3年)にサラエボ事件がおこり、ドイツ・オーストリアを中心とする同盟国とセルビアに味方したイギリス・フランスなどの連合国が、第一次世界大戦を戦いました。戦争は4年以上続き、1918(大正7年)年に同盟国の敗北に終わりました。その翌年にベルサイユ条約が結ばれました。