公立高校入試の歴史並び替え問題

年代の数字を覚えることは重要ではありません。できごとの内容と前後の関係を理解しましょう

歴史並び替え問題第101問(2012年茨城県公立高校入試)

問題

日本と中国や朝鮮との交流について述べた次のア~エのできごとを、年代の古い順に左から並べて、記号で答えなさい。

渡来人が、かたい質の土器(須恵器)をつくる技術を伝えた。
唐の制度や文化を取り入れようと、遣唐使をたびたび派遣した。
小野妹子らを隋に派遣し、多くの留学生や僧を同行させた。
明から与えられた勘合を用いて日明貿易(勘合貿易)がおこなわれた。

正解

ア→ウ→イ→エ

解説

縄文土器や弥生土器は野焼きのため低温で焼かれたものでしたが、古墳時代以降の須恵器は穴窯を用いて高温で焼かれたため、比較的固いものでした。

小野妹子らの遣隋使に同行した留学生や僧は、帰国後、大化の改新で重要な役職を与えられ、律令体制の構築に貢献しました。

最初の遣唐使は大化の改新前の630年に行われ、平安時代まで約260年間続きました。

勘合貿易は1404年足利義満によって日本が明に朝貢する形で始まり、博多や堺の貿易港が栄えました。

 

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歴史並び替え問題第100問(2012年福島県公立高校入試)

問題

次のア~エは、下記の略年表中のAの期間のできごとについて述べたものである。ア~エを年代の古い順に左から記号で答えなさい。

  1. 1543年 ポルトガル人が種子島に漂着し、鉄砲を伝える
  2. 1641年 幕府がオランダ商館を出島に移し、鎖国体制を固める
明智光秀が、京都の本能寺で織田信長を自害に追い込んだ。
徳川家康が、征夷大将軍に任命され、江戸に幕府を開いた。
李舜臣の水軍が、朝鮮に出兵した日本の水軍と戦った。
圧政に苦しんだ島原や天草の人々が、天草四郎を大将として一揆をおこした。

正解

ア→ウ→イ→エ

解説

織田信長は琵琶湖の南岸に安土城を築き、全国統一を目指しましたが、1582年本能寺の変で自害しました。

信長の後継者となったのは豊臣秀吉で、全国統一を成し遂げた後、1592年(文禄の役)と1597年(慶長の役)の2度朝鮮に出兵しました。李舜臣の水軍によって補給に苦しんだと言われていますが、近年の研究では補給に大きな問題はなかったと考えられています。

秀吉は晩年京都に伏見城を建て隠居し、この城で亡くなりました。この地はのちに桃山とよばれ、織田信長と豊臣秀吉が政治権力を持った約30年の安土桃山時代の由来となっています。

1603年に江戸幕府を開いた徳川家康は朱印船貿易で東南アジアと交易を行いましたが、3代将軍家光のころになると、キリスト教の広まりを抑えるべく鎖国に転じ、1637年の天草・島原一揆を経て、オランダ以外のヨーロッパの国々と国交を断絶しました。

 

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歴史並び替え問題第99問(2012年山形県公立高校入試)

問題

次のア~エは、第二次世界大戦終結後のできごとです。ア~エを、年代の古い順に並びかえ、記号で答えなさい。

日ソ共同宣言が出される。
日韓基本条約が結ばれる。
サンフランシスコ平和条約が結ばれる。
日中共同声明が出される。

正解

ウ→ア→イ→エ

解説

第二次世界大戦後の日本の外交の大きな目的は、東西冷戦の中で各国と講和条約(平和条約)を結ぶことでした。

1951年(昭和26年)日本はアメリカやイギリスなどの48か国とサンフランシスコ平和条約を結び、主権を回復しました。この会議に参加しなかった国や調印を拒否した国とは個別に条約を結ぶことになりました。

1956年(昭和31年)日ソ共同宣言が出され、日本はソ連と国交を回復し、同年に国連に加盟しますが、ロシアとは現在も平和条約は結ばれていません。

韓国とは1965年(昭和40年)に日韓基本条約を結び、中国(中華人民共和国)とは1972年(昭和47年)に日中共同声明が出され、それぞれ国交が正常化されました。

 

キッシンジャー回想録 中国(上)