最終更新日 2021年2月16日 全150問
難易度の判断は筆者の主観に基づいたものです
下記の図は、近現代の日本の明治時代から昭和時代までをA~Dの期間に分けたものである。A~Dの期間におこったできごとを、次のア~エから一つずつ選んで記号で答えなさい。(一部改題)
(A)エ (B)イ (C)ウ (D) ア
不平等条約の改正は明治政府の重要な目標であり、領事裁判権(治外法権)が撤廃されたのは日清戦争直前の1894年(明治27年)で、完全自主権の回復は日露戦争後で、韓国併合の翌年の1911年(明治44年)です。
1914年(大正3年)日本は日英同盟を理由に連合国側としてドイツに宣戦布告し、中国山東省にあったドイツの租借地を攻撃しました。また、インド洋や地中海で連合国の輸送船の護衛を行いました。戦後は国際連盟の常任理事国となりました。
1937年(昭和12年)に日中戦争は始まり、解決できないまま国際的に孤立し、アメリカとの太平洋戦争につながりました。
戦後の日本は高度経済成長期に入り、1964年(昭和39年)東京オリンピックが開かれました。
第120問とほぼ同じ問題です。
次のア~ウは基本的人権の歴史についてまとめたものである。年代の古い順に並べ、記号で答えなさい。
ウ→イ→ア
1789年フランス革命が始まり、自由と平等をうたったフランス人権宣言が出されました。その後のフランスは王政を廃止し第一共和制に移行しますが、1804年に皇帝ナポレオンが誕生しました。
1919年第一次世界大戦で敗北したドイツでは、世界で初めて社会権を認めたワイマール憲法が誕生しました。社会権とは生存権、教育を受ける権利、労働基本権など社会の中で人間らしい生活を行う権利のことです。
国際連合で世界人権宣言が採択されたのは1948年(昭和23年)で、日本が国際連合に加盟したのは1956年(昭和31年)です)。
次のア~エは「明治時代以降のわが国と中国との関わり」についてまとめたものである。年代の古い順に並べ、記号で答えなさい。
ア→エ→イ→ウ
三民主義を唱え中国革命の父と呼ばれた孫文は、清の打倒を掲げ、1894年(明治27年)にハワイで興中会を結成し、1905年(明治38年)に東京で中国同盟会に発展させました。ただし、中国国民の意志は一つではなく1899年(明治32年)の義和団事件は清を助けようとする運動でした。日露戦争後の1911年(明治44年)に辛亥革命がおこり清が倒れると、孫文は翌年に中華民国の臨時大総統につきました。
中華民国はその後、軍事力をもっていた袁世凱政権に変わり、第一次世界大戦のさなか1915年(大正4年)に日本の21か条の要求を受け入れました。主な内容は日本が中国にドイツの権益の継承を要求したもので、1919年(大正8年)のベルサイユ条約でも認められ、中国ではこれに反発して抗日、反帝国主義の民衆運動である五・四運動が起きました。
日本は1905年(明治38年)のポーツマス条約で南満州の鉄道などの権益を得て、それを守るために関東軍が設置されました。1920年代後半になると中国での抗日、反帝国主義の動きは強まりました。これに対して関東軍は満州での権益の保持と拡大を狙って1931年(昭和6年)満州事変を起こし、翌年に満州国が建国されました。
いったん日中の軍事衝突は収まりましたが、1937年(昭和12年)に全面的な戦争に突入しました。1945年(昭和20年)のポツダム宣言の受諾まで戦争は続き、中華人民共和国の成立もあって、日中の国交正常化は1972年(昭和47年)の日中共同声明まで、長い時間がかかりました。
下記の略年表のAの期間におこったア~エのできごとを、年代の古い順に並べ、記号で答えなさい。
イ→エ→ウ→ア
日本は明治時代に日清、日露の両戦争に勝利し、不平等条約の改正を成し遂げました。1914年(大正3年)ヨーロッパで第一次世界対戦が始まると、日本は日英同盟を理由に参戦し、中国山東省のドイツの租借地を攻撃、占領しました。第一次世界大戦の戦勝国となった日本は国際連盟の常任理事国となり、国際舞台での地位が向上しました。
大正時代には民主主義や自由主義を求める大正デモクラシーの風潮が広がり、国民から選挙で選ばれた衆議院議員が首相や多くの大臣を務める政党内閣が結成されるようになり、1925年(大正14年)には普通選挙法(男子普通選挙)が成立しました。
昭和に入ると、世界恐慌による不況や、満州事変や軍縮問題での欧米との協調外交への不満、二大政党の対立による政治の停滞などから政党内閣への国民の支持は低下し、1932年(昭和7年)五・一五事件で海軍将校によって犬養毅首相が暗殺されると、戦後まで政党内閣は誕生しませんでした。
1937年(昭和12年)に始まった日中戦争によって、国際的な信頼は低下しました。1939年(昭和14年)ヨーロッパで第二次世界大戦が始まり、ヒトラー率いるナチスドイツがイギリス・フランスに対して優勢であったため、日本ではドイツとの同盟を求める動きがおこり、1940年(昭和15年)日独伊三国同盟が結ばれました。この同盟にアメリカは反発し、日本に経済制裁を行いました。アメリカは日本に同盟の解消と中国からの撤兵を求めましたが、1941年(昭和16年)太平洋戦争がはじまりました。