公立高校入試の歴史並び替え問題

年代の数字を覚えることは重要ではありません。できごとの内容と前後の関係を理解しましょう

歴史並び替え問題第142問(2012年長崎県公立高校入試)

問題

次のア~ウは、20世紀における世界の主なできごとについて述べたものである。年代の古い順に並べ、記号で答えなさい。

アメリカとソ連が対立する国際関係が変化する中で、東西ドイツが統一された。
国民党政府との内戦に勝利した共産党の毛沢東を中心に、中華人民共和国が成立した。
アメリカのルーズベルト大統領によって、ニューディール政策が実施された。

正解

ウ→イ→ア

解説

1929年(昭和4年)ニューヨーク株式市場の大暴落から世界恐慌が始まりました。翌年に就任したルーズベルト(ローズヴェルト)大統領は大規模な公共事業などのニューディール政策を行って不況から脱出しようとしました。また、ルーズベルト大統領は第二次世界大戦、太平洋戦争開始時の大統領です。

第二次世界大戦が終了し日本軍が撤退した中国では、中華民国の国民党政府と毛沢東率いる中国共産党による内戦状態に突入しました。1949年(昭和24年)内戦に勝利した共産党は中華人民共和国を成立させ、国民党は台湾に逃れました。

資本主義のアメリカと社会主義のソ連は激しく対立し、この対立は冷たい戦争(冷戦)と呼ばれました。第二次世界大戦後のドイツはアメリカの影響下の西ドイツとソ連の影響下の東ドイツに分離独立し、首都ベルリンも東西に分断されベルリンの壁が築かれました。

1980年代に入ると資本主義国と社会主義国の経済格差が広がり、東ヨーロッパの社会主義国では西側への亡命を求める人が増え、各地で民主化を求める運動が起こりました。1989年(平成元年)ベルリンの壁は壊され、東西ベルリンの往来が自由になり、冷戦は終わりました。翌年には東西ドイツが統一、さらに翌年にソ連が崩壊しました。

 

歴史並び替え問題第141問(2012年佐賀県公立高校入試)

問題

次のア~エは、日本と中国の歴史についてまとめたものである。年代の古い順に並べ、記号で答えなさい。

元軍が九州北部に押しよせ、博多湾に上陸した。
中国の香港に、佐賀県代表事務所が開設されるとともに、佐賀と上海との間に定期チャーター便が就航した。
北京郊外での軍事衝突をきっかけに、日中戦争が始まった。
中国や朝鮮半島から稲作や金属器が伝わった。

正解

エ→ア→ウ→イ

解説

紀元前4世紀から21世紀までのとても長い期間の問題です。

紀元前4世紀に稲作と金属器が大陸や朝鮮半島から伝わって、弥生時代が始まりました。

鎌倉時代の元寇は、文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)と2度ありましたが、上陸を許したのは最初の文永の役です。

1937年(昭和12年)に始まった日中戦争を日本政府は解決することができずにに泥沼化させてしまい、1945年(昭和20年)日本がポツダム宣言を受諾するまで日中戦争は続きました。

21世紀に入り中国は世界第二位の経済大国となり、日本の最大の貿易相手国となりました。佐賀県は上海から飛行機で1時間30分と近く、格安航空によって運賃も安くて、中国人観光客に人気です。(もちろん2021年2月現在、新型コロナの影響で中国人観光客はゼロです)

 

歴史並び替え問題第140問(2012年佐賀県公立高校入試)

問題

次のア~エは、大日本帝国憲法が発布された明治時代のできごとである。年代の古い順に並べ、記号で答えなさい。

天皇への忠義や親への孝行を基本とした教育勅語が発布された。
政府の方針を、天皇が神に誓う形で五箇条のご誓文を出した。
中国との戦争で得た賠償金を使い、官営の八幡製鉄所を建設した。
廃藩置県を実施して、新たに県令や府知事を任命した。

正解

イ→エ→ア→ウ

解説

明治新政府は1868年(明治元年)五箇条の御誓文で政治の方針を示し、1869年(明治2年)に版籍奉還、1871年(明治4年)に廃藩置県を行って中央集権国家を目指しました。

その後自由民権運動がおこり、1889年(明治22年)に大日本帝国憲法が発布され、翌年に第一回の帝国議会が開かれました。

1894年(明治27年)に日清戦争がおこり、翌年の下関条約で日本は清からの賠償金を得ました。

これをもとにして1897年(明治30年)北九州に官営八幡製鉄所がつくられ、1901年(明治34年)に操業開始しました。その翌年に日英同盟が結ばれ、その2年後に日露戦争が始まりました。

明治時代は初期の改革、自由民権運動と憲法制定、日清戦争、日露戦争の4つの時期に分けるとイメージしやすいと思います。

教育勅語は1890年(明治23年)第一回の帝国議会が始まる直前にだされました。