公立高校入試の歴史並び替え問題

年代の数字を覚えることは重要ではありません。できごとの内容と前後の関係を理解しましょう

歴史並び替え問題第96問(2012年宮城県公立高校入試)

問題

次のア~エは、明治維新から第二次世界大戦が終わるまでの、日本における人権保障に関するできごとである。年代の古い順に並べかえ、記号で答えなさい。

大逆事件では、多数の社会主義者が逮捕され、幸徳秋水らが処刑された。
福沢諭吉は、「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらずといえり」で始まる『学問のすゝめ』をあらわした。
人権を「臣民の権利」として、法律の範囲内で認める大日本帝国憲法が制定された。
25歳以上のすべての男子に衆議院議員の選挙権を与える普通選挙法が制定された。

正解

イ→ウ→ア→エ

解説

福沢諭吉は江戸幕府の使節に同行し、3度欧米に渡り、帰国後は教育に力を尽くしました。1872年(明治5年)から発行された『学問のすゝめ』では封建制度を否定し、個人の自由・平等・独立に基づく国民国家の形成を説きました。

1889年(明治22年)に君主権が強いプロイセンの憲法を参考にして大日本帝国憲法が制定されました。

韓国併合の同年1910年(明治43年)明治天皇の暗殺を企てたとして多くの社会主義者や無政府主義者が逮捕されました。12名が死刑に処されましたが、その多くは冤罪と言われています。この政府による思想弾圧に対して森鴎外などの作家は批判的な日記や作品を残しています。

1925年(大正14年)男子普通選挙と治安維持法がほぼ同時に成立しました。女子の参政権はは第二次世界大戦後まで認められませんでした。

 

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歴史並び替え問題第95問(2012年岩手県公立高校入試)

問題

次のア~エは、我が国と東アジア諸国との文化的なかかわりについて述べたものです。これらを年代の古い順に並べかえ、記号で答えなさい。

日本軍が朝鮮侵略の際に連れ帰った陶工により、有田焼がはじめられた。
中国にわたった栄西や道元により、禅宗が伝えられ武士に広まった。
朝鮮半島から渡来人により、漢字や金属の道具を作る技術が伝えられた。
失明しながらも苦難の末に来日した鑑真により、正しい仏教の教えが広められた。

正解

ウ→エ→イ→ア

解説

渡来人とは古墳時代の4世紀から6世紀にかけて中国や朝鮮から移住してきた人たちで、漢字、仏教、儒教や進んだ農業技術を伝えました。

鑑真は唐の僧で、日本からの留学僧の求めに応じて754年に来日し、唐招提寺を開き仏教を広めました。

栄西は比叡山延暦寺での修行の後、2度宋にわたり禅宗(臨済宗)を学び、鎌倉幕府の庇護のもと京都に建仁寺を建てました。

道元は比叡山での修行後、建仁寺で学び、さらに宋にわたって禅宗(曹洞宗)を学び、現在の福井県に永平寺を建てました。

禅宗の座禅による厳しい修業を重視する教えは武士に受け入れられ、書院造や水墨画など、その後の生活様式や文化に影響を与えました。

有田焼は豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に連れてこられた朝鮮人陶工によって始まられ、運ばれた港の名前から伊万里焼とも呼ばれました。江戸時代にはオランダによってヨーロッパに輸出され、人気を博しました。

 

歴史並び替え問題第94問(2012年青森県公立高校入試)

問題(一部改題)

(1)次のア~ウを年代の古い順に並べかえ、記号で答えなさい。

(2)下線部Aと下線部Bに当てはまるできごとを、次の語群からそれぞれ一つずつ選んで答えなさい。

辛亥革命 甲午農民戦争 義和団事件 五・四運動 日中戦争

(3)半島名を答えなさい

清では、A 「扶清滅洋」(ふしんめつよう)を唱える集団が、北京の外国公使館を包囲すると、日本を主力とする連合軍はこれを鎮圧した。ロシアは、大軍を満州にとどめて事実上占領し、さらに韓国への進出を強めた。日本は日英同盟を結んでロシアに対抗し、その後、戦争が始まった。
半島は、列強の利害と民族・宗教の対立がからまって紛争が絶えず、ヨーロッパの火薬庫と呼ばれていた。この半島にあるサラエボで、オーストリアの皇太子がセルビア人青年に暗殺されたことをきっかけに戦争が始まった。
朝鮮では、B 日清両国の対立の中で、政治や経済が混乱したため、民間信仰をもとにした宗教を信仰する団体を中心とした農民が、腐敗した役人の追放や外国人の排斥をめざして蜂起した。これを機に、清と日本は朝鮮に出兵し、戦争が始まった。

正解

(1) ウ→ア→イ (2) A 義和団事件 B 甲午農民戦争 (3) バルカン半島

解説

それぞれの戦争とそののきっかけとなったできごとに関する問題です。また、戦争とその講和条約はセットで覚えなければなりません。

1894年(明治27年)に甲午農民戦争をきっかけに日清戦争が始まり、翌年に下関条約が結ばれました。

1899年(明治32年)に義和団事件が発生し、これをきっかけにロシアが満州を占領しました。扶清滅洋とは清を助け外国勢力を追い出そうという義和団のスローガンです。日本はロシアに対抗するべく1902年(明治35年)に日英同盟を結びました。伊藤博文らは戦争を避けるためにロシアと交渉をしましたが、1904年(明治37年)に戦争が始まり、翌年に小村寿太郎によってポーツマス条約が結ばれました。

1914年(大正3年)にサラエボ事件がおこり、ドイツ・オーストリアを中心とする同盟国とセルビアに味方したイギリス・フランスなどの連合国が、第一次世界大戦を戦いました。戦争は4年以上続き、1918(大正7年)年に同盟国の敗北に終わりました。その翌年にベルサイユ条約が結ばれました。