問題
1951年にサンフランシスコ平和条約が結ばれるまでにおきた、次のア~ウのできごとを年代の古いものから順に記号で答えなさい。
- ア
- 労働力が不足し、勤労動員により中学生や女学生が軍需工場に動員された。
- イ
- 陸軍の青年将校が部隊を率いて、大臣などを殺害し、東京の中心部を占拠した。
- ウ
- 政府は、議会の承認なしに国民生活全体を統制できるようになった。
正解
イ→ウ→ア
解説
イは二・二六事件、ウは国家総動員法、アは勤労動員です。
1929年(昭和4年)の世界恐慌をきっかけに日本は深刻な不況に陥り、特に農村は生糸の価格低下と冷害で荒廃し、女子の身売りが多発するなどしました。社会不安と政党政治への不満は、テロやクーデター未遂事件の多発を招きました。最大のクーデーター未遂事件が1936年(昭和11年)の二・二六事件で、事件以降軍部の発言力は増しました。
盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が拡大すると、政府は1938年(昭和13年)に国家総動員法を制定し、統制経済による総力戦体制を構築しました。
太平洋戦争が激化する中、1943年(昭和18年)から兵力増強のため文系大学生の学徒出陣、労働力不足により中学生や女学生の勤労動員が行われるようになりました。