公立高校入試の歴史並び替え問題

年代の数字を覚えることは重要ではありません。できごとの内容と前後の関係を理解しましょう

歴史並び替え問題第126問(2012年兵庫県公立高校入試)

問題

次のア~オの各文は、古代から近世における日本と中国とのかかわりについてまとめたものである。

(1)空欄A,B、C、D、Eに入る人物名、使節名、語句、国名、人物名を、それぞれ答えなさい。

(2)ア~オを年代の古い順に並び替えて、記号で答えなさい。

武士として初めて太政大臣となったは、瀬戸内海の航路を整え、兵庫(現在の神戸市)の港を整備し、中国との貿易を積極的に行った。
中国では国内が乱れ、9世紀にはその勢力が急速におとろえたため、日本はを停止(中止)した。
幕府は、中国からの要求に応じて、倭寇を禁じるとともに、という合い札(割符、割札)を正式な貿易船に与えた。
幕府は、キリスト教の禁止を徹底することなどを目的とし、日本人の海外渡航と海外からの帰国を禁止したが、中国船と船のみに長崎での貿易を許した。
中国の歴史書によると、邪馬台国の女王であるが魏に使いを送り、皇帝から「親魏倭王」の称号や銅鏡などをさずけられた。

正解

(1)A 平清盛、B 遣唐使、C 勘合、D オランダ、E 卑弥呼

(2)オ→イ→ア→ウ→エ

解説

卑弥呼が魏に使いを送ったのは239年で、魏から授けられた金印や銅鏡は発見されておらず、邪馬台国の場所は現在も特定されていません。

学問の神様として信仰を集める菅原道真が遣唐使の廃止を建議したのは894年で、国風文化が栄えるきっかけになりました。

1167年武士として初めて太政大臣となった平清盛は宋との貿易を積極的に行いました。貿易重視の政策は、平氏政権以前の摂関政治や院政、また鎌倉幕府にも見られない特徴です。

勘合貿易を始めたのは室町幕府3代将軍の足利義満ですが、時代が下るにつれて、貿易の実権は有力な守護大名や博多や堺の商人に移っていきました。

江戸幕府の鎖国が完成したあとにおいても、長崎ではオランダと清、対馬では朝鮮、薩摩では琉球、松前では蝦夷地(アイヌ人)とそれぞれ交易を行いました。

 

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