問題
次のア~エは江戸時代から明治時代にかけての外交に関するできごとです。年代の古い順に並べて記号で答えなさい。
- ア
- ペリーが浦賀に来航した。
- イ
- 関税自主権が完全に回復された。
- ウ
- 岩倉使節団が欧米に派遣された。
- エ
- 治外法権(領事裁判権)が撤廃された。
正解
ア→ウ→エ→イ
解説
1853年アメリカのペリー提督は4隻の軍艦で浦賀に来航し開国を要求しました。幕府は1年後の回答を約束しますが、ペリーは半年後の1854年に7隻の軍艦で再び来日し、日米和親条約を結びました。開国した日本では1858年の日米修好通商条約によって貿易が始まりましたが、不平等条約であり、その改正はその後の明治政府の大きな課題になりました。
1871年(明治4年)廃藩置県を終えた明治政府は岩倉具視、大久保利通、伊藤博文らに留学生を加えて総勢170名を欧米に派遣しました。その目的は欧米の視察と条約改正の予備交渉でした。
1894年(明治27年)日本はイギリスと日英通商航海条約を結び、領事裁判権が撤廃されました。このイギリスとの関係改善が同年の日清戦争を決意する一因となったと言われています。
日露戦争によって日本の国際的地位は高まり、1911年(明治44年)日米通商航海条約が結ばれ、関税自主権を回復しました。
条約改正には結ばれてから50年以上、交渉開始から約40年の時間がかかりました。