問題
次のア~エは同じころにおこった、日本と世界のできごとについて述べたものである。年代の古い順に並べかえ、記号で答えなさい。
- ア
- 唐の律令を手本とした大宝律令が制定された後、平城京が作られた。
- 中国東北部にあった渤海が、初めて日本に使いを送った。
- イ
- 足利義政が銀閣を建てた。このころ、雪舟が中国にわたり水墨画の技術を学び、「秋冬山水図」を描いた。
- バスコ=ダ=ガマが、喜望峰を回ってインドに到達した。
- ウ
- 承久の乱がおこった。その後、執権の北条泰時が御成敗式目を定めた。
- フビライ=ハンが国号を元と定めて、その後中国全土を支配した。
- エ
- 西回り航路や東回り航路がひらかれた。また、都市が大きく成長した。
- イギリスで清教徒革命と名誉革命がおこった。
正解
ア→ウ→イ→エ
解説
日本は隋や唐の律令制度にならって701年大宝律令を制定し、710年唐の都である長安を模した平城京に遷都しました。
渤海は7世紀末から10世紀初めにかけて中国東北部からロシア沿海州にかけて繁栄した国家で、奈良時代の聖武天皇のころ727年に初めて日本に使いを派遣しました。日本からも使者が送られ、交流は渤海が滅亡する平安時代中期まで続きました。
外交は中国や朝鮮の王朝や欧米諸国との関係に注目しがちですが、渤海や琉球やアイヌなどとの交易も理解していなければなりません。
鎌倉幕府3代執権の北条泰時は初代執権の北条時政の孫で、1221年承久の乱に勝利し1232年御成敗式目を制定し執権政治を確立しました。
モンゴル帝国5代皇帝のフビライ=ハンは初代皇帝チンギス=ハンの孫で、1271年国号を元と定め、中国全土を支配しました。さらに日本に1274年と1281年の2度侵攻しますが、北条泰時のひ孫で8代執権の北条時宗がそれを防ぎました。
室町幕府8代将軍足利義政の後継問題から1467年応仁の乱がおこり、戦国時代の始まりとなりました。同年に雪舟は中国にわたって水墨画を学びました。銀閣や水墨画には仏教の禅宗の影響を受けています。
1498年ポルトガル人のバスコ=ダ=ガマがインド航路を開拓し、ポルトガル船は1543年に日本に漂着しました。
17世紀後半の江戸時代に西回り航路や東回り航路がひらかれ、五街道が整備されるなど国内の流通環境が整備され、都市の町人文化が栄えました。
イギリスでは1642年に清教徒革命、1688年に名誉革命がおこり、立憲政治が始まりました。18世紀後半には産業革命がおこり、インドを植民地化し、清とはアヘン戦争をおこしました。