問題
明治時代の日英同盟成立以前に起こった我が国のできごとを、ア~エから二つ選び、年代の古い順にその記号を答えよ。
- ア
- 国会の早期開設を主張していた大隈重信を党首とする、立憲改進党が結成された。
- イ
- 桂太郎が三度目の組閣をすると、知識人の間で憲政擁護運動が起こった。
- ウ
- 国家として近代的な軍隊を作るため、兵役について定めた徴兵令が定められた。
- エ
- 幅広く国民を戦争に動員できる権限を政府に認めた国家総動員法が制定された。
正解
ウ→ア
解説
1873年(明治6年)徴兵令が出され、免除規定はありましたが、20歳以上の男子は3年の兵役に就くことが義務化されました。その背景には身分制度の廃止があり、士族の特権は次第に奪われていきました。
1881年(明治14年)政府内で国会の早期開設を主張していた大隈重信は政府の役職を解かれ、翌年に立憲改進党を結成します。一方の板垣退助は1881年に自由党を結成し党首になっています。
1912年(大正元年)桂太郎内閣が成立すると、藩閥政治の打倒と立憲政治の確立をめざす第一次護憲運動(憲政擁護運動)がおこり、内閣は53日で総辞職しました。民衆運動で倒れた最初の内閣です。
1936年(昭和11年)に二・二六事件、翌年に日中戦争がはじまり、さらにその翌年の1938年(昭和13年)に国家総動員法が制定されました。