問題
明治政府は1871年に岩倉使節団を欧米に派遣した。この年以降におこった次のア~エのできごとを、年代順に古い方から並びかえ、記号で答えなさい。
- ア
- 日本が関税自主権を完全に回復する。
- イ
- 日英同盟を結ぶ。
- ウ
- 日朝修好条規を結ぶ。
- エ
- 三国干渉に応じる。
正解
ウ→エ→イ→ア
解説
明治政府の外交課題は朝鮮問題と条約改正でした。岩倉使節団の帰国後の1873年(明治6年)に留守政府の要職にいた西郷隆盛と板垣退助らは、使節団に参加した岩倉具視と大久保利通らと鎖国していた朝鮮の問題で対立しは政府を去ることになりました。
1876年(明治9年)江華島事件がおこると、日本は朝鮮に開国させ、不平等条約である日朝修好条規を結びました。
条約改正の問題では1894年(明治27年)イギリスとの交渉で領事裁判権が撤廃されました。その直後朝鮮をめぐる対立から日清戦争がおこり、日本はこれに勝利し翌年に下関条約を結びました。この条約で中国は遼東半島を日本に割譲することになりましたが、日本の大陸進出を恐れたロシアがフランスとドイツと共にこれに反対し、結局日本はこの三国干渉を受け入れました。
この後のロシアの中国進出に対して、日本は1902年(明治35年)日英同盟を結んで対抗し、日露戦争に勝利しました。
日本は憲法や議会といった近代国家の体制を整え、さらに日露戦争に勝利したことで国際的な地位が上昇し、1911年(明治44年)関税自主権の回復に成功し、条約改正を成し遂げました。