公立高校入試の歴史並び替え問題

年代の数字を覚えることは重要ではありません。できごとの内容と前後の関係を理解しましょう

歴史並び替え問題第63問(2011年長野県公立高校入試)

問題

下記の略年表中のAの期間のできごととして適切なものを、次のア~エから2つ選び、古い順に左から記号で答えなさい。

  1. 1871年 岩倉使節団が欧米に出発する
  2. 1905年 ポーツマス条約を結ぶ
三国干渉を受け入れ、遼東半島を返還した。
日本が関税自主権を回復し、条約改正を達成した。
日朝修好条規を結び、朝鮮を開国させた。
イギリスなどの四か国の艦隊によって下関が攻撃された。

正解

ウ→ア

解説

江戸時代末期に開国した日本では攘夷の気運が広がり、1863年長州藩は馬関海峡(関門海峡)を封鎖し、アメリカ・フランス・オランダの艦船に砲撃しました。翌年、海峡の封鎖で経済的な損害を受けたイギリスは被害を受けた三か国とともに下関を攻撃し長州藩の砲台を占拠しました。軍事力の違いに衝撃を受けた長州藩は攘夷から倒幕へと動きを変えました。

1871年(明治3年)岩倉使節団が欧米に派遣され、1873年(明治6年)に帰国しますが、使節団に参加した大久保利通らと留守政府の要職にあった西郷隆盛や板垣退助らが鎖国していた朝鮮の問題で対立し、西郷隆盛や板垣退助らは政府を去りました。

1876年(明治9年)日本は日朝修好条規を結び、朝鮮を開国させました。条約の内容は日本に有利な不平等条約でした。

朝鮮問題を原因として始まった日清戦争は、日本の勝利で終わり、1895年(明治28年)下関条約を結びました。条約の中には遼東半島の割譲がありましたが、日本の中国進出を警戒したロシアがフランスとドイツとともに割譲に反対し、日本はこれを受け入れました。(三国干渉)

1905年(明治38年)日本は満州や朝鮮に関して対立していたロシアとの戦争に勝利し、ポーツマス条約を結びました。この条約の交渉を担ったのは外務大臣の小村寿太郎で、1911年(明治44年)には関税自主権の回復に成功しました。

 

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