公立高校入試の歴史並び替え問題

年代の数字を覚えることは重要ではありません。できごとの内容と前後の関係を理解しましょう

歴史並び替え問題第52問(2011年千葉県公立高校入試)

問題

次のア~エの文章は、江戸幕府の行った財政再建や政治改革のための取り組みについて述べたものである。それぞれの取り組みを年代の古いものから順に並べ、その符号を答えなさい。

きびしい倹約令を出して、ぜいたく品を禁止し、出版や風俗を取り締まった。また、物価を下げるために、株仲間の解散を命じた。さらに江戸・大阪周辺の大名領を幕府領にしようとした。
江戸などに出てきた農民を故郷に帰し、凶作や飢饉に備えるため、農村に倉を設けて米を蓄えさせ、商品作物の栽培を制限した。また、旗本・御家人の借金を帳消しにした。
武士に質素・倹約をすすめるとともに、幕府の収入を増やすため、年貢の率を引き上げた。また、公事方御定書という裁判の基準となる法律も整備した。
商人の力を利用して幕府の財政を立て直そうとした。株仲間を奨励し、これに特権を与えるかわりに税をとった。

正解

ウ→エ→イ→ア

解説

ウは八代将軍徳川吉宗による享保の改革、エは老中田沼意次による政治、イは老中松平定信による寛政の改革、アは老中水野忠邦による天保の改革です。

江戸時代では農業技術の進歩と交通網の整備が進み、貨幣経済が全国に浸透して、各地で商品作物の栽培がひろがりました。また、絹織物業や綿織物業で問屋制家内工業や工場制手工業などの新しい経済システムができました。経済の発展により、教育や文化芸術が一般庶民に広がりました。

しかし、江戸幕府は経済システムの変化に対応できず、さらには飢饉の影響もあって財政は苦しくなりました。享保の改革によって財政はもちなおしますが、寛政と天保の両改革は庶民の反発もあって、その成果は乏しいものになりました。

三大改革に共通する思想は質素倹約を旨とした徳川家康の政治に戻ろうとするものでした。建武の新政をはじめ、社会の変化を理解せず「昔は良かった」とする政策はうまく行かないのが歴史の教訓ではないでしょうか。